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movin'
移転します。
exciteは使いつづけて長かったですが、
特にメリットがあるわけじゃなし、
少し前からはadが入るようになって面倒だったので
有料にしてましたがそれももはやアホらしいので
Tumblrに逃げます。
wordpressでドメイン取ってするほどでもないし
僕程度の使用範囲だとTumblr大いに有効です。
きっと。

ということで今後はこちらへ
http://btwh.tumblr.com/
データの移行はせず、こちらはしばらく放置にします。
ありがとうございました。

あたらしいノート買ってしばらくはきれいにフォーマットに沿って書こうとするけど、
途中からぐだぐだになってきて。。
早く新しいノートにしたいなぁとそんなノリです。
じゃあっちで!
# by afterthecycle | 2011-02-22 23:25 | mutter
徴を探して 2
——どうしておまえがスピノザを読む気になったのか、ひとつそのわけから聞くとしよう。スピノザもユダヤ人だったからかね。
——いえ閣下、そうではありません。あの本に出くわしたときには、ユダヤ人だということさえ知りませんでした。それに、伝記をお読みになっていればおわかりでしょうが、シナゴーグではスピノザは嫌われ者も同然です。あの本は近くの町のくず屋で見つけて一コペックで買ったのですが、そのときはあんなに稼ぐのに苦労した金をむだづかいしてしまってと半分後悔していました。しばらくたってからぱらぱら読んでみているうちに、急につむじ風にでも吹かれたようになって、そのまま読みつづけてしまったのです。さっきも申しましたように、私には全部理解できたわけではありません。でも、あんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私とは同じ人間ではありませんでした……
マラマッド『修理屋』 ジル・ドゥルーズ『スピノザ』冒頭より

前回、書いたように今まで仕舞いこんでいた本が一挙にでてきて本棚は壮観です。
でもこの本の数こそ自身の無知を象徴するものであるということもまた知っています。
岩波文庫の『ウェルテル』のカバーにはゲーテのこんな言葉が書かれています。

晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語った。

たくさんの本に囲まれながら矛盾するようですが、
一人の人間にとって読まなければならない本というのはきっと少ないと思います。
キム・ギドクは聖書しか読まない。と豪語していましたが、
多くのクリスチャン(ムスリムならばコーラン)にとってはそうでしょう。
しかし、多くの僕を含む日本人は一神教ではなく無宗教、
むしろ汎神論者であるはずで、せめていくつか。であるように思います。

 子どもや未開人の創作活動は、ちがった証拠を提示する。彼らの自発的な表現は、何が正しいかという内的な感覚から生まれるのであって、外的な圧力に左右されるようなことがない。これは内的な必然性によって営まれる生活の実例である。どんな分野であろうと、誰であろうとも、彼が何かを表現しようと思いたったとき、たとえそれが最上の吐け口でなく、社会的に重要でないにしても、すでに何らかの分野で創造された作品は、誰からも理解されるに相違ない。これは、確信をもって推測できることだ。
L. モホリ=ナギ 『ザ ニュー ヴィジョン』より

医師から適切な薬を処方された患者のように
「つむじ風に吹かれる」瞬間というのが本を読んでいるとあります。
しかし、薬とちがって処方されることが少ないのもまた本でしょう。
モホリ=ナギの言葉は創作活動についてだけでなく本にもまた通じます。
子どもや未開人のように外的な圧力がなく内的な静穏を保つことができるには
現代社会ではそれなりの努力を必要とすると思います。
またその重要性に気づいている人は少ないでしょう。

文明の進む道というのは個を鋭利にすることに他なりません。
ならばその切先をどういった柔らかな鞘で覆ってあげることが出来るかだと思います。
各々の『ウェルテル』を探し出すには
ひとりの時間を持つこと。
心をオープンにすること。
この二律背反がとても大切だと感じています。

ということで前振りが長くなりました。
ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』が出てきました。
絶版であることを知りつつ少し前に再版されていたのを本屋で発見し
本屋のカバーにくるまれたまま寝かせていたのでした。
あの風のような日々にこの本の居場所はなかったということでしょう。

翻訳文学というのは原語に劣るというのが一般的な考えだとおもいます。
しかし逆に時代を超え、言葉の垣根をも越えたときに
その想いは伝わる人には伝わるものです。
ヘルダーリンなんて!と思う人も多いでしょうが、
きっと人それぞれのヘルダーリンが存在する。
そう思ったときにまた胸が熱くなりました。

※追記
ヘルダーリンで検索していると松岡正剛の文章がでてきました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1200.html
ある人への追悼文となっているところがすばらしいし、
またヘルダーリンだからこそ成せる技だなと思いました。
絶版となっていた全集も再版されているようですしやはりゲーテに比べて
世に出回りにくい詩人ですが丹下健三に対しての前川國男のように
ヘルダーリンもまた再評価されてしかるべきだと感じています。

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

G.ドゥルーズ / 平凡社


若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

ゲーテ / 岩波書店


ザニューヴィジョン―ある芸術家の要約

L.モホリ・ナギ / ダヴィッド社


ヒュペーリオン―希臘の世捨人 (岩波文庫)

ヘルデルリーン / 岩波書店


# by afterthecycle | 2011-02-10 19:28 | book
徴を探して 1
 文学、世界文学に手が届くということは、国の虚飾、蒙昧、偏狭さの押しつけ、空疎な学校教育、中途半端な将来の進路、運の悪さ、といった檻から逃げだせるということを意味します。文学はよりおおきな生活の場、つまり、自由地帯に入ってゆくパスポートでした。
 文学は自由そのものでした。とくに、読書や内向的な生活が呵責なく脅かされるような時代には、文学は、まさに自由にほかなりません。

"Literature Is Freedom: The Friedenspreis Acceptance Speech"
Susan Sontag  木幡和枝 訳

ようやく引越しの際、倉庫に押し込んでいた荷物を出し終えました。やっと。
兎に角スペースがなくてその確保が先で今に至ったというわけです。
出しながらその8割は本でした。
一人住まいの間は本棚を出していたらキリがないとわかっていたので
今現在、読んでいない本は押入れに放り込んでいたので出てくる出てくる。
読んでいない本が。。
仕事でいらいらした時は本を買うに限ります。(よね?)
だいたいどこで買ったかまで覚えているんですが数冊??というのが出て来て、げ!
と思いました。今のところダブりで買ったのは生涯2回だけ。
この2回は結構ショックだったなぁ。

本は読む方だと思いますが本の買い方はわりとクセがあると思います。
こんなもの本と呼ぶに値しない!と切り捨てたい本は世にたくさんありますが
それは今回は置いておいて、

1. 基本的に小説の類いは買わない。
これは本を読む。と言っている人間の中では少数派になりそうだけど
いわゆる現代の物語の類いは買いません。読むときは時間がある時に
ノンストップで半日くらいかけて一気に読まないと気が済まない質で、
途中まで読んでつまらなくて読むのを止めてしまえば最後まで読まないことが多いし
最後まで読んだとしてつまらなかったときの残念なあの気分は味わいたくないから。

映画でさくっと2時間で観てしまった方がまだつまらなかったときの落胆が小さい。
なので短編集、エッセイ集が比較的多くなる。
またこの手の小説は一度読んだら2度と読まないものが多い。
漫画も好きだけどほとんど買わないのはこの辺。

2. 資料として買う、後で恥ずかしくなる本は買わない。
服やCDなんかにもこれは言えることですが、
なんでこんな本買ったんだろうと恥ずかしくなる本は買いません。
これは若い時に失敗して培われるものなので若い人には勧めませんけど。
なので難しい本が増えます。古典が増えます。
手元に置いておく本は基本的にこれでいいんです。

じっくり読むときもあれば辞書代わりにすることもある。
難しい本ほど一度に2、3冊同時に開くことになる。
必要なら図書館もあるし、いわゆる売れた本ならブックオフに腐るほどあるのだから。
そう、くだらない本は自ずと腐る。今読んで理解できない本でも
寝かせる。寝かせるに値する本のみを本棚の肥とする。
そうやって選んだ本はのちにいい味が出てくる。

3. 希少本は買う
専門書は特にこれが顕著になるけど(最近は買う機会が減った)買っておかないと
手に入らない本、べらぼうな値段がつく本というのがあってそういう本こそ
図書館にはない。専門の勉強している人ならともかく、
学生でもないのに大学の図書館なんてちょくちょく行けるものではないし
買っておいた方が後が楽ということも経験から得たもの。

ここまで前振りをしておいて急に書く気が萎えてきた。
続きはまた次回。

良心の領界

スーザン ソンタグ / NTT出版


# by afterthecycle | 2011-02-09 00:33 | book
FOR SALE??
FOR SALE??_b0165779_18315384.jpg

売っちまおうかなー?
という感じになってきたBD-1。誰か欲しい人いますかー。
ご一報ください。

この写真。実はイチデジで撮ってみた。
初イチデジ。
といっても親父のね。
α-330という安物イチデジ。
レンズも標準のズームレンズなので暗いよね。
JPEGで撮ってフォトショでちょいいじり。
RAWで扱ってみたいけどアプリケーションないし。
35mmか50mmくらいの単焦点の明るいレンズが欲しい。
欲しいけどαレンズ買っても今後中途半端かなぁ。

BD-1。
ご覧の通りショートのブルホーンにしてみました。
してみましたけど街乗りにはやはりクイックすぎる。
60Tなので早いのは早いけどね。

街乗り用が欲しいんです。
贅沢言える身分かってっ??
えへへ。
# by afterthecycle | 2011-02-06 18:44 | bd-1
風神帖より
 今、先進国の都会に住む者はみな肉体性の欠如に悩んでいる。肉体は半ばは自然に属するものだから、自然がないところに正しい肉体観はない。ジャックはぼくが知るかぎり最も優れた肉体の持ち主であり、最も実際的で正確な自然観の持ち主だった。だから彼との生活は厳しく、また楽しかった。
『さようなら、ジャック。』より

人は外国語ができる者をうらやむが、外国語に堪能な者はたいていの場合まず日本語がうまいのだ。母語を、一つの言葉としてではなくすべての言葉の原型として身につける。日本語というレベルよりも深い一般言語として習得する。それができていれば、原理は他の言語にも応用できる。そういう基本的な言葉の能力、言葉のセンスというものがある。

 日本人はつつがなく生きようとしている。周囲の人々から浮かないようにつつましく暮らし、大過なく人生を送る、日本の社会が個人に要請するのは基本的にそういうことだ。
上記2つ『異国に生まれなおした人』より

風神帖―エッセー集成1 (エッセー集成 1)

池澤 夏樹 / みすず書房


# by afterthecycle | 2011-01-20 16:33 | book