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佐世保は長崎でした。その1 -白井晟一篇-
佐世保に行ってきました。

mixiにもちらっと書きましたが
静岡にある芹沢銈介美術館が白井晟一設計だと気づいて
白井晟一熱が再燃しています。

といっても現存する作品も多くはなく佐世保といえば
親和銀行本店 コンピュータ棟 懐霄館です。

地方銀行とはいえやはり本店。車がひっきりなしに出入りしていて
中は覗けませんでした。
普通に撮っても面白くないのであえて電柱をいれて撮ってみました。

佐世保は長崎でした。その1  -白井晟一篇-_b0165779_0142047.jpg


しかし、この存在感!圧巻です。
白井晟一の造形というのはどちらかというとキッチュだと思います。
懐霄館に限って言えば猥褻ですらある。
西洋美術の起源的な美学を感じます。

白井晟一wiki

白井晟一というのは本当に面白い人です。
建築家でありながらまずヤスパースが出てきて、
パリではアンドレ・マルロー、林芙美子と出会って恋に落ち、浮雲と名のつく
建築を残したりとまったくなんという人でしょうか。

また、作品の所在地をみていくとかなり隔たっていることがわかります。
一般的に材料の使い方が合理的、経済的でないため客をかなり選ぶはずです。
よほど密な関係でなければ成立しない建築だと断言していいと思います。
それほどキャラの立った人だったのでしょう。

どういった経緯で親和銀行の一連の作品を作るきっかけとなったのかは
調べればわかることなのかもしれませんが、こう推測したいのです。
白井晟一と言えば1955年の原爆堂計画だと思います。

佐世保は長崎でした。その1  -白井晟一篇-_b0165779_0153447.jpg


日本で建築を学んだ人ならばミースの「ガラスのスカイスクレイパー」と
この原爆堂計画のパースは強烈に焼付くものです。

広島は丹下の記念碑的な計画が残されました。
しかし、長崎はどうでしょう。
ものすごく勝手な推測です。しかし、懐霄館をみれば
なにかしら長崎の原爆への鎮魂が込められているような気がしてなりません。

この懐霄館は1975年ともう晩年に近い作品です。
しかし、その種子は根強く芽を出し
唐津の洋々閣、福岡の五島など現在進行形の遺産を残しつつあることは
驚くべきことだと思います。

あえてここで書いておきたいと思います。
懐霄館は世界遺産にしましょう。
なぜなら一般の人がなんでこれが世界遺産なのか考えるきっかけを与えるからです。

次回は都市としての側面から考察してみます。

懐霄館―白井晟一の建築 (1980年)

白井 晟一 / 中央公論社


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by afterthecycle | 2009-09-04 00:28 | mutter
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