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道具と機械の境界
ぼくたちには再び農業が必要なんだと思います。
雷さまのきまぐれを除けば一日のうち半分照らしてくれる
お天道さまの恩恵を受けて誰のものでもない土地で、
誰のものでもない草木の力を借りて営々と生きてきた。
狩猟は決して安定しないのだから。

この農業とは、過去のある時代における農業ではなくて
それはもはや多くの人々にとって夢想にすぎないでしょう。
システムとしての農業、メタファーとしての農業をこそ
ぼくは求めています。

家内制手工業にせよ、工場制機械工業にせよ
ぼくたちは道具、もしくは機械を用いて原料から加工品を
精製しそれで日々の営みを豊かにしてきました。

道具と機械の境界はどこにあるのでしょうか?
日本人は不思議なことに道具という言葉とは微妙にニュアンスの違う
ツールという言葉も使います。
どこか舶来のものを指すこの言葉、
大学時代、初めてきちんとしたコンピュータを買った時に
「あくまでツールとして使うんだ」という
今となっては意味不明のことを言っていました。

ちょうど西暦2000年前後、コンピュータの普及とソフトウェアの充実、
多くの業界で移行期を迎えた時期だったと思います。
それにともなってデジカメをはじめとするデバイスもまた発達してきました。

コンピュータというブレインの下、多くの事象が私たちにとって
ブラックボックス化しています。

なぜ、こんな小さなものから音楽が聴こえてくるのか、
なぜこんな暗闇の中、写真が写るのか、
未開人にとって、ぼくたちはさしずめマジシャンでしょう。

しかし、
ぼくの乗っている車はやたらハンドルが軽く、
iPhoneはとてもメールが打ちづらいんです。

機械という領域は常に拡大していきます。
一方で道具はどうでしょうか?
その境界、区別とはどこにあるでしょうか?

自転車は原動機付き自転車とは違います。
この100年、ほとんど変わることのなかったシステムが
道具として、もしくは原始的な機械として
人間に対してなんらかの投げかけを行ってくれるものと信じています。

航空のことなんか言っているのではない。飛行機は、目的でなく、手段にしかすぎない。人が生命をかけるのは飛行機のためではない。農夫が耕すのは、けっして彼の鋤のためではないのと同じように。ただ飛行機によって、人は都会とその会計係からのがれて、農夫の真実を見いだす。
[…]
 ぼくは、自分の職業の中で幸福だ。ぼくは、自分を、空港を耕す農夫だと思っている。郊外の列車の中が、ぼくにはこの砂漠の中よりずっと苦痛だ!ここは要するに、じつに贅沢なものだ!……

人間の土地 (新潮文庫)

サン=テグジュペリ / 新潮社


山に登るという行為は傍観する者にとっては勿論、山に登っている本人にも実に無駄な愚かなことだと思われます。そうなると、逆の場合、そんな疑問を抱くことが仮令あっても、固執せずにそれを払いのけて、機械に自ら進んで隷従することに拠って機械を支配するという手段を選んだ方が賢明であると言えます。
 この点では、機械は宗教によく似ていると思いませんか。疑わず従う。確かにその通りなのです。

雲・山・太陽―串田孫一随想集 (講談社文芸文庫)

串田 孫一 / 講談社



ミツバチのささやきに耳を傾けること、
プロペラ機に乗ること、
山に登ること、と
自転車に乗ることはとても近いと思います。

ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール

紀伊國屋書店


紅の豚 [DVD]

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント


by afterthecycle | 2009-06-28 23:45 | mutter
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