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徴を探して 2
——どうしておまえがスピノザを読む気になったのか、ひとつそのわけから聞くとしよう。スピノザもユダヤ人だったからかね。
——いえ閣下、そうではありません。あの本に出くわしたときには、ユダヤ人だということさえ知りませんでした。それに、伝記をお読みになっていればおわかりでしょうが、シナゴーグではスピノザは嫌われ者も同然です。あの本は近くの町のくず屋で見つけて一コペックで買ったのですが、そのときはあんなに稼ぐのに苦労した金をむだづかいしてしまってと半分後悔していました。しばらくたってからぱらぱら読んでみているうちに、急につむじ風にでも吹かれたようになって、そのまま読みつづけてしまったのです。さっきも申しましたように、私には全部理解できたわけではありません。でも、あんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私とは同じ人間ではありませんでした……
マラマッド『修理屋』 ジル・ドゥルーズ『スピノザ』冒頭より

前回、書いたように今まで仕舞いこんでいた本が一挙にでてきて本棚は壮観です。
でもこの本の数こそ自身の無知を象徴するものであるということもまた知っています。
岩波文庫の『ウェルテル』のカバーにはゲーテのこんな言葉が書かれています。

晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語った。

たくさんの本に囲まれながら矛盾するようですが、
一人の人間にとって読まなければならない本というのはきっと少ないと思います。
キム・ギドクは聖書しか読まない。と豪語していましたが、
多くのクリスチャン(ムスリムならばコーラン)にとってはそうでしょう。
しかし、多くの僕を含む日本人は一神教ではなく無宗教、
むしろ汎神論者であるはずで、せめていくつか。であるように思います。

 子どもや未開人の創作活動は、ちがった証拠を提示する。彼らの自発的な表現は、何が正しいかという内的な感覚から生まれるのであって、外的な圧力に左右されるようなことがない。これは内的な必然性によって営まれる生活の実例である。どんな分野であろうと、誰であろうとも、彼が何かを表現しようと思いたったとき、たとえそれが最上の吐け口でなく、社会的に重要でないにしても、すでに何らかの分野で創造された作品は、誰からも理解されるに相違ない。これは、確信をもって推測できることだ。
L. モホリ=ナギ 『ザ ニュー ヴィジョン』より

医師から適切な薬を処方された患者のように
「つむじ風に吹かれる」瞬間というのが本を読んでいるとあります。
しかし、薬とちがって処方されることが少ないのもまた本でしょう。
モホリ=ナギの言葉は創作活動についてだけでなく本にもまた通じます。
子どもや未開人のように外的な圧力がなく内的な静穏を保つことができるには
現代社会ではそれなりの努力を必要とすると思います。
またその重要性に気づいている人は少ないでしょう。

文明の進む道というのは個を鋭利にすることに他なりません。
ならばその切先をどういった柔らかな鞘で覆ってあげることが出来るかだと思います。
各々の『ウェルテル』を探し出すには
ひとりの時間を持つこと。
心をオープンにすること。
この二律背反がとても大切だと感じています。

ということで前振りが長くなりました。
ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』が出てきました。
絶版であることを知りつつ少し前に再版されていたのを本屋で発見し
本屋のカバーにくるまれたまま寝かせていたのでした。
あの風のような日々にこの本の居場所はなかったということでしょう。

翻訳文学というのは原語に劣るというのが一般的な考えだとおもいます。
しかし逆に時代を超え、言葉の垣根をも越えたときに
その想いは伝わる人には伝わるものです。
ヘルダーリンなんて!と思う人も多いでしょうが、
きっと人それぞれのヘルダーリンが存在する。
そう思ったときにまた胸が熱くなりました。

※追記
ヘルダーリンで検索していると松岡正剛の文章がでてきました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1200.html
ある人への追悼文となっているところがすばらしいし、
またヘルダーリンだからこそ成せる技だなと思いました。
絶版となっていた全集も再版されているようですしやはりゲーテに比べて
世に出回りにくい詩人ですが丹下健三に対しての前川國男のように
ヘルダーリンもまた再評価されてしかるべきだと感じています。

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))

G.ドゥルーズ / 平凡社


若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

ゲーテ / 岩波書店


ザニューヴィジョン―ある芸術家の要約

L.モホリ・ナギ / ダヴィッド社


ヒュペーリオン―希臘の世捨人 (岩波文庫)

ヘルデルリーン / 岩波書店


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by afterthecycle | 2011-02-10 19:28 | book
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